「グリーンツーリズム」という概念は海外から日本に入ってきましたが、日本の独自の環境や状況から「日本型グリーン・ツーリズム」という独特の進化を遂げてきました。
和歌山大学藤田教授による「日本型グリーン・ツーリズム」が発展していったその要因と今後の可能性についてお話いただきました。
都市と農山村が対立していく…
戦前、都市と農山村とは循環型社会が形成されていました。糞尿を都市で回収し、それを肥料として農山村で作物を生産し、都市に売って…、そうしたお互いの役割に循環ができていたのです。
それが戦後大きく変化し、都市と農山村は対立関係となったのです。都市の「過密」と農村の「過疎」です。
戦後経済の回復と発展を旗印に、農山村の労働力は「金の卵」として都市産業に吸収されていき、農山村にはいわゆる「三ちゃん」(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)しか残らなくなりました。また、格差を無くす目的で整備新幹線や高速道路の建設等の国土開発が推進され、農山村がどんどん都市に編入されることになったのです。
さらに、こうした状況を世論が後押ししていきました。それを支えたのが「国際分業論」と言われるものです。
「国際分業論」とは…
・日本の農業は国際的にみて著しく零細で生産性が低く、コストも高い。このような能率の低い農業を国費で丸抱え保護することは、国民経済的に大きなマイナスである。
・したがって今後国内農業は選び抜かれた少数の能率の高い、自立的・企業的経営だけを残して縮小し、それによって余った土地や労働力は生産性の高い産業部門に再配置し、その輸出を伸ばし、見返りに大量のより安い海外食料を輸入したほうが、資源の「効率的な利用」や国際化社会の「市場原理」に見合ったものとなる。
・また、安くて多彩な海外食料の輸入は物価高に苦しむ消費者の負担をそれだけ軽くするし、食生活の内容を豊かにしたいという要求を満たすことにもなる。
といった理論です。当時多くの知識人によって唱えられ、世論もそれによって大きく動かされていったのです。
こうした動きはまず「人の空洞化」が生まれました。それは耕作放棄などの「土地の空洞化」を生み、地域資源の維持管理が後退する「むらの空洞化」につながり、ついには農村で暮らし、農業で生計を立てる意味や誇りを喪失させる「誇りの空洞化」にまで行きついたのです。
農山村への「眼差し」が変化してきている。
しかし近年、この流れにまた変化が生まれつつあります。それが「共生・対流」です。
都市は地方を支配し、農村は農だけしてしていれば良い、ということに対する疑問が、都市・農村それぞれ住む人々の意識に変化が生じているのが現代です。
まず都市では、農山村への「眼差し」が変化していきました。農山村を「憩い、癒し、学び」の場であると意識し始め、自然・食・文化・歴史といった地域資源の価値に気づき始めているのではないでしょうか。
そして、農山村では「個」の形成と自立、の意識が芽生えています。農家による直売・加工、レストラン、民宿といった農業多角化や、「いえ」という規範から脱却して、起業、産消連携、家族経営協定連携等といった積極的展開も行われるようになっています。特に女性の力が大きく、消費者が何を求めているのかを機敏に感じとった経営を行う女性の経営者が多くなっているのも現状です。
国や自治体にも、リゾート開発等の外部依存型開発の破たんの歴史をはじめ、地域再生への危機感から地域資源の発掘や見直し、農工商連携の促進、移住や定住支援などの交流人口の拡大も図るような方向へとの転換に取組みだしているのです。
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