島根県の東部に位置する人口約4万人のまち、雲南市。平成16年11月に隣接する旧6町村が合併してできた市で、その中に吉田町(旧吉田村)がある。
旧吉田村は、近代製鉄技術が導入されるまで「たたら製鉄」による鉄生産の中心地で、映画「もののけ姫」に出てくるような「たたら場(製鉄所)」の跡が今も遺っています。
昭和60年、地域の進みゆく過疎化に危機感を抱いた旧吉田村の村役場と村民は、第三セクターとして「株式会社吉田ふるさと村」を設立した。当時、利益を生み出せない三セクが多い中、本気で地域を変えようとする地域商社が生まれたのだ。
過疎が進む最大の理由は、仕事が無いから。じゃあ、単純な発想で、仕事をつくればいいじゃないの。ということなんですわ、元々は。この地域で継続的にやっていけるビジネスをもう一回考えてやってみましょうと、村の有志が考えたのが始まりです。
「自分たちの村は、自分たちで守る。」という強い想いで立ち上がった「吉田ふるさと村」で、6代目の代表取締役を務める高岡裕司さんにお話を伺った。
高岡裕司さん(写真:左)
株式会社吉田ふるさと村 代表取締役
1957年雲南市(旧吉田村)生まれ。東京の大学を卒業後、広島県内で勤務。父親からの誘いで、吉田ふるさと村を設立する準備のため帰郷。1985年、同社設立・入社。2002年、卵かけご飯専用醤油「おたまはん」を大ヒットさせる。2005年に専務取締役、2012年6月より代表取締役に就任。
齋藤 潤一氏(写真:右)
地域プロデューサー。慶應義塾大学大学院 非常勤講師/MBA (経営学修士)
1979年大阪府出身。米国シリコンバレーのITベンチャーで、ブランディング・マーケティング責任者を務め、帰国後に起業。震災を機に「ビジネスで持続可能な地域づくり」を使命に活動開始。ガイアの夜明け・NHK・日経新聞等に出演・掲載。
地域の存続をかけた地域商社
「村をどうするか」がスタートであった「吉田ふるさと村」の設立の準備をしている段階で、村の税金も投じられることになり、村民みんなでできることが模索された。全戸に対して株主を公募したところ、予想を大きく上回る応募があり、1,250万円の増資が行われた。
目的は資金調達でなく、意思統一。仲間を募ろうという思い出、住民に呼びかけました。
このままいくと村がなくなってしまう。「何かやってやる!」という想いでしたね。当時、僕も最初のメンバーだったんですけど、6人からスタートして、現在はパートさんも含めて57名と共に8事業を展開しています。
メインの食品加工を中心に、地域でできる仕事をつくりながら、住民のためのサービス提供やこれからの地域の新たな産業創出にも取り組まれている。
補助金に頼らず地域で稼ぐ
旧吉田村は、9割が山。昔は林業をベースとして栄えたが、これからそれを生業とするのは難しいという判断の中で、着目したのが自給するために行っていた農業だ。少量ではあるが、地域の美味しいお米や野菜を活用した産業をやっていこうと考えたそうだ。
齋藤
どのようなことから始められたのですか?
高岡
最初は、地元の美味しい米を主体にしたいということで、お餅をついて販売するということをやっていました。三セクと言えども、うちの場合は補助金を使ったハード的なものが一切無かったんです。
設備が無い中で、どうやって稼ぐかを考えて思い付いたのが、餅つきの実演販売でした。軽トラに臼と杵を積んで、松江や出雲まで行って、そこでペッタンペッタン餅をついて売りました。設備いらんし、現金収入になるし。やっぱり商売はお金を回さないとダメなので。
齋藤
凄いですね。それをどれぐらい続けられていたんですか?
高岡
お餅、他の農産物、味噌などの開発商品の販売を10年ぐらいやってまして、それでお金を儲けて、3年目からは単年度黒字になりました。うまく回り始めましたけども、一方では、このスタイルを続けるには限界を感じました。
重労働と地方での採用問題
齋藤
それはどういうことですか?
高岡
重労働なんですわ。最初は手が豆だらけになるし、体に負担はかかるし、今で言えば、ブラック企業です(笑)
僕ら初代は想いがあるから、そんなことは関係無しに一生懸命やってましたが、朝6時半ごろ出社して、車で1時間半から2時間ぐらい運転。スーパーについたら店開きをして、夜の7時ぐらいまでお餅つき。帰ってくると、夜9時ぐらい。それを毎日繰り返す。そうすると、体だけでなく、別の問題も出てきました。
齋藤
それは、具体的にどんな問題ですか?
高岡
若い人が会社に入らないんです。「あそこに入ったら大変だよ。やめろ、もっと良いところある。」と、親が言うわけです。これではダメだと思いました。実演販売ではなくて、ここで作ったものを売るスタイルへ変えようということになりました。
結局、創業して10年目ぐらいの時に、初めて大きな補助金を申請しました。それで、この建物や設備を導入して、実演販売から今のスタイルへシフトしました。そうしたら、途端にUターンで1人が入社しました。翌年もIターンで入社があり、凄いなと思いました。
地方の地域商社の販路拡大
齋藤
商品を作って売るというスタイルに変えてから、商圏に変化はありましたか?
高岡
現在、県内は18%ぐらいで、3割ぐらいは関東の売上です。この辺りの商圏としては、近いという理由から、普通は大阪や広島なんです。その方が楽なんですわ。
でも、我々はそう考えてませんでした。一も二もなく、東京だと。これは、お餅の実演販売で全国を回りながらノウハウを蓄積して、お客様の声を聞いたり、反応を見たりしていて、お客さんの思考が見えてきてました。
大阪は顕著で、当時は安くて良いものでないと売れなかったです。お餅は飛ぶように売れましたが、焼肉のタレなどは、うちの商品が大手メーカーに比べて小売で100円以上高いので、なかなか売れんのですわ。地域によって、売れるものが違うと分かってました。なので、「うちの商品は東京だで。市場は東京だ。東京に絞ろう。」と、決めました。
齋藤
そこからどのように、販路を地域外に開拓していったんですか?
高岡
うちの場合は、資力も無かったので、広告とか一切なし。全部口コミです。宣伝広告費なんてないので、そもそもお金を掛けられなかったです。今もしてないです。
広がるペースは凄い遅いんです。ただ、商品性は高いので、リピート客が着実に増えています。
地域存続が地域商社の使命
齋藤
食品以外にも、多くの事業に取り組まれていますよね?
高岡
まずは、水道工事ですね。これは元々、地元に水道工事をする業者が無かったので、水道管が破裂したらなかなか直らず、水が止まってしまっていたんです。そういった不便を解消するために始めました。バス運営も、同様に地域サービスのためにやっています。
他には、現在建て替え中ですが、温泉宿泊施設の運営です。この温泉が、1300年以上も続く温泉で、泉質も良く、歴史的な文献にも記載があるぐらい素晴らしいものなんです。我々がやらないと無くなってしまうという危機感から運営を始めました。
また、旅行観光業にも着手しています。移住者を増やすということは容易ではないですが、まずは関係人口を増やそうと、地域の未来のために取り組んでいます。
齋藤
全ては、地域の未来を考えての取り組みなんですね。
そうです。まずは、知ってもらって、来てもらって、好きになってもらう。特に観光事業は、ずっと赤字の事業ですが、他の事業の利益を補填して、将来を見越して続けています。
様々な形で、地域が存続するために、スケールは小さいですが、色々と考えながら取り組んでいるという状態です。
地域の危機をビジネスで解決する
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齋藤
感銘を受けたのが、30年以上前に危機感を共有できたことと、その解決策がビジネスだと考えられたことなんです。今でさえも、多くの地域ができていないことです。なぜ、当時、それができたんでしょうか?
高岡
まず、動いたのは行政ですよ。行政に気概があったんです。行政の中に、それを訴えてリードした人がいたんです。行政が危機感を抱いて、行政だけでは限界があると。
この会社ができる3年ぐらい前に、村づくり委員会というのを立ち上げて、40人〜50人ぐらいを集めて、これから何をしていったら良いかという話し合いを始めたんです。そこから何個かの部会に分けて、行政主導でスタートしました。
その中で、自営業をしていた先代社長を含め地元の商工業者も、人口減少への危機感を持っていて、一生懸命動いた。
齋藤
行政で危機感を持っていた人は、何人ぐらいいたんですか?
高岡
その当時、最初は1人ですね。その人が一生懸命動き始めて、それに呼応した住民が一緒になって、新しい何かを起こさないかんということで、色々視察に行ったり、話し合いをしたりしながら、進めていきましたね。
地域の住民を巻き込む重要性
齋藤
商工業者さんに危機感を持とうと言っても、「なんとかなるよ。」「誰かがなんとかしてくれる。」と、今でさえ危機感を持たないと人も多い中で、この地域の商工業者さんたちは、なぜ集まって話し合いを持とうと思ったんですか?
高岡
それも、商工業者の中にリーダーシップを取れる人間がいたからだと思います。先代の社長もその1人ですが、そういう人たちが何人かいたんだと思います。
齋藤
行政と商工業者さんは、うまく話し合いができたんですか?
高岡
こういう村ですから、人の顔が全部見えるわけです。だから、どのように進めれば良いか、お互いに承知していたわけです。
齋藤
よくあるのが、行政と商工業者さんが集まると、「行政がもっとちゃんとやれ、行政がなんとかしろ。」と言って終わるところを一緒に危機感を共有できたのが良かったんですね。
高岡
商工業者も、急激な人口減少を分かっていたんです。もしかしたら農業者では分からないかもしれないですが、肌感覚でどんどん落ちていくのを感じていたんだと思います。
行政と商工業者のリーダーシップ
齋藤
なぜ、そこで「ビジネスだ!」となったんですが、例えば、三セクを作って、お金を集めて、行政から補助金をいっぱい入れて、しょうもないもの作って終わるっていうのが、今でも世の中にはびこっている中で、ビジネスの仕組みを取り入れようと考えたんですか?
高岡
やっぱり自立していかないと、いつまでも補助金に頼っていると無理だということについて、行政側も商工業者側も同じ意見でした。
当初は、協同組合や財団法人など、他の発想も考えられたようですが、最終的には、自分で稼いで自分で継続できる必要があるということで、株式会社にしたという経緯があります。
齋藤
やはり、商工業者さんと話し合いを持てたというのが、キーだったかもしれないですね。
高岡
どっちもちゃんとキーマン、リーダーがいたわけです。
ただ、当時の議会は、「そういうのをやったって、どうせ潰れるだろう」と、反対したんです。その場合、三セクだから行政が手当をすることになる。損失が出れば補填する、当然そうなるだろうと議会は反対だった。
そこで、平行線になったんですが、推進派は「行政の援助はいらん。出資だけはしてくれ。それからは、自分たちが自立していく。」ということで、議会を納得させたんです。
齋藤
なぜ、その時、三セクだったんですか?「自分たちだけでやります。」ではダメだったんですか?
高岡
商工業者たちも、自分たちも資力が無いし、補助金が必要になった時には三セクだと入りやすいし、行政の中にメンバーがいてくれるということ安心感に繋がりますし、行政だけでも、民間だけでも限界があるだろうということで、三セクという選択をしました。
地方創生におけるリーダーの重要性
齋藤
高岡さんは、どこから会社に関わったんですか?
高岡
自分もUターンで帰ってきて、自分たちの世代が実動部隊で取り組んだです。会社設立前、広島にいましたが、父親が商工業者の1人で自分にも「やってくれんか?」と、声が掛かりました。
「これからずっと都会では、よう暮らさんな。地元を元気にするのは、面白そうだ。やってみよう。」と、考えて帰ってきました。
齋藤
お話をお聞きしていると、最初に商工業者さんを巻き込んで動けたということと、良いリーダーがちゃんと選ばれていることが、成功の要因として大きい気がしますね。
地域で仕事が無い人を選んでいるのではなくて、都会から引っ張ってきてでも、良いリーダーが入っているというのも素晴らしいと思いました。
売れる地域商社が大切にしていること
齋藤
始まったとは言え、ほとんどの商品が売れないと思うんです。それを自分たちの手で試行錯誤を続けて、現場に出続けた10年間が今でも財産なっていると思うんです。
ただ、多くの人たちはそれをやらないし、やっても途中でやめちゃう人が多いと思うんですが、商品が売れた理由はなんでしょうか?
高岡
やはり、実演販売。お金を掛けずに、できることからやる。それをやり続けるということです。
齋藤
もうしんどいから止めようという人もたくさんいますが、なぜ、続けられたんでしょうか?
高岡
それしかなかったからですね(笑)
齋藤
それが、危機感なんですよね。だから、危機感の共有って本当に重要ですよね。
地域の人が主体となる商品づくり
齋藤
高岡社長が、今、仕事をしていて面白いなあと思う瞬間手、どういう時ですか?
高岡
今まで立ち上げから色んなことをしてきましたが、やはり、新しいことを起こすことが楽しいですね。
失敗してやめたこともたくさんありますが、それでも今までなんとか存続しとるんで、良い経験だと思ってます。
齋藤
新しいことの1つとして、商品開発をする時に、大事にされていることはありますか?
高岡
僕らは、ここにあるもので商品をつくることを理想としてますので、自分たちで考えることを大切にしてます。市場である東京のお客様のニーズも大切にしながら、自分たちの想いも大切にしています。
心だけでなく、地域の魅力も込めて伝えるために自分たちで考えてますので、例えば、外部のコンサルさんに売れる商品を作ってくださいということはしていないです。
地方からでも、稼げる
齋藤
あるものを活かそうということと、お金がなくても現場に出て行って、お客様と対話しながら、ターゲットを明確にするという、当たり前のことですけど、それをシンプルにやり続けられているということが、大切なポイントですね。
高岡
そうですね、例えば、卵かけご飯のブームの火付け役になったわけですが、素材はどこにでも転がっているものです。それに、どう光を当てるか、どういう見方をするかで大きく変わってくると思います。
こんな山奥の小さな会社でもできたんだから、どこでもできますよ。だから、全国で同じようにチャレンジする人にも、勇気をもって取り組んでほしいですね。
齋藤
どうもありがとうございました。