スマートフォンの登場で、誰もが気軽に写真を残せるようになりました。国内利用者数が2000万人を超えたインスタグラムの影響もあり、「インスタ映え」という言葉まで生まれています。
ところで、当たり前になった写真ですが、その背景には日本人の研究があったことをご存知ですか?
日本人が撮影した1番古い写真は、「島津斉彬」のもの
日本に写真が伝わったのは、江戸時代の1848年のこととされています。坂本龍馬の写真を撮ったことで有名な上野彦馬の父親である長崎の貿易商・上野俊之丞が、写真機(ダゲレオタイプ)を輸入します。
この写真機が渡っていくことになるのが、薩摩藩。当時の藩主は、幕末の四賢侯のひとりと言われる島津斉彬です。
2018年に始まった大河ドラマ『西郷どん』で、世界のケン・ワタナベが演じていて、抜群の存在感を放っている人物です。史実でも、西洋化をリードし、先鋭的な藩運営を行った人物だそう。
そして、日本人の手によって初めて写されたのが、その島津斉彬の銀板写真です。
なぜこの写真が実現した?
この写真を撮影するまでには、それはもう苦労の歴史がありました。
なにせ、写真機があっても、現像するための薬剤などもよくわからず、自前で撮影し現像し、写真として残すまでには数年の月日を要したそうです。
研究が進められている過程で、1853年にはペリーが来航し、ここで多くの日本人は、写真という魔術に驚くことになります。
その間も薩摩では独自の研究進められ、やっとのことで、1857年に撮影に成功したのが、日本最古の日本人が撮影した写真である島津斉彬のものだというわけです。
しかし悲しいことに、この撮影技法は難しく、かつ現像したものが保存に適さないということで、一般化することはありませんでした。
残して、見せたいという気持ちは今も昔も同じ
当時は、撮影に何時間もかかり、現像に何時間もかかるという、ものすごい労力と投じなければ実現しなかった写真撮影ですが、現在では、一瞬でできてしまいます。
しかし、昔の人も写真映えのためにポーズを撮ったり、すましてみせたりと、現代人と何ら変わらない「盛る」行為をしていたようで、技術は進歩しても、写真への思いは変わらないのかもしれませんね。