“蒔絵アルバム”と呼ばれる写真集があったのを知っていますか?
日本の伝統美である蒔絵、螺鈿細工が施された表紙に始まる写真集には技師によって丁寧に色づけされた数々の日本の文化、風景、人物が収められています。
明治初期には外国人の土産としてこの蒔絵アルバムが流行し、何十万冊も海外へ輸出されたと言われています。
このひとつひとつが手仕事であること、またその鮮やかな色彩に、江戸時代に培われた日本人の芸術性が垣間見える気がします。
蒔絵アルバムの先駆者 日下部金兵衛(くさかべきんべえ)
彩色写真、蒔絵アルバムの先駆者とされるのが横浜で写真店を開いた日下部金兵衛です。17歳で江戸にでて、20歳の頃にはベアト(幕末に横浜へ移り住み、数々の日本の写真を撮影したイギリスの写真家)のもとで絵付け職人として雇われます。ベアトからの信頼は厚く、様々な撮影地へと同行したようです。
蒔絵アルバムが外国人に大ヒット
金兵衛がつくった蒔絵アルバムは、その日本的な美しさから外国人に大変な人気がでたそうです。“金幣アルバム”とも呼ばれ、実際に金蒔絵の表紙であるアルバムも制作されました。
(金兵衛 蒔絵アルバムの表紙と裏表紙)
個人の写真店を横浜でオープン
金兵衛は独立し、「金幣写真館」を横浜に設立。蒔絵アルバムは当時高価なものでしたが、KIMBEIの名蒔絵アルバムの制作者として海外へ広く知られるようになりました。写真店の経営は順調でしたが蒔絵アルバムは印刷技術の発展や持ち運びの簡単な絵はがきの出現により廃っていったようです。金兵衛は70歳のときに写真家を引退、2年後には店の営業もやめています。
昭和になり日本でも再評価された金兵衛
海外でKIMBEIの名で撮られた写真を含めた出版物が発行されたことをきっかけに数多くの写真を残した写真家として、再評価されたそうです。
金兵衛が撮った江戸〜明治の街並
数々の写真を残していますがその中から風景、街を移した写真をピックアップしてみました。撮られた時期は1880〜90年代とされています。
中山道、軽井沢から見た浅間山
三井寺から見た琵琶湖
京都、祇園
神戸
東京、上野の不忍池
東京のメインストリート(銀座???)
吹上御苑(皇居内)
名古屋城
(全ての画像出典:NYPL Digital Gallery)